2025年1月10日 逝去
故 中井俊作(初代 代表理事)の言葉
一般社団法人 天草1000年の人と土の営みの初代代表理事・中井俊作。自給自足とミニマルな暮らしを貫き、「人間として、誇りをもって生きる」ことを問い続けました。
中井俊作からのメッセージ
0章 中井俊作です
広大無辺の宇宙に誕生した奇跡の星イコール水の惑星、地球。自然か偶然か必然か、そこに発生した生命、五度の大量絶滅を経ながらも進化を続け、20万年ほど前、人類がアフリカに誕生。一個の生命体として精巧無比の自然生態系の結晶とでも言ってよい存在だ。その後、世界各地に散り、幾万年の時を経て住み着いた土地の気候風土に順応し、民族・人種という区分ができるほどの差異を生じた。その人類が何をしてきたか。農耕・牧畜を各地で手掛けるようになって数千年、道具を武器に変え、略奪・侵略、強者が敗者・弱者を支配隷属させ特権を振るう味を占めてから戦乱・栄枯盛衰の歴史を重ねてきた。
では、この100年何をしているか。一次、二次世界大戦を経て最終兵器まで生み出しながら、理比曲直をわきまえ切らず、軍備・軍隊・軍需産業を残し、マネーゲーム、都市の肥大化、勝者の立場で手にした既得権益の存続などを許し、化石燃料、原子力などのエネルギー源を用い、加速度的に大量生産・大量消費・大量廃棄の時代を現出し、爆発的な人口増加と相まって持続不可能な道を歩み続けている。
では、この先どうしたらよいのか。二つの条件をクリアしない限り、答えは明白。一つはクリーンで廉価で手軽に利用できるエネルギー源が調達できるかどうか、もう一つは人間が食べ方を変えられるかどうか。80億に迫ろうとする人口を栄養不良に陥れることなく、支え続けられる食糧を持続的に調達できるかどうか(肉食は相当制限されることになるだろう。お金を出せば、美味しいものが食べられるという時代は過去のものとなる)。この2つの条件をクリアするのはまず不可能とみる。この100年の人類の歩みは、地球生態系の結晶とも例えた存在が、こともあろうにその生みの親である地球生態系を台無しにしかけているのが実情だ。100年前には想定もできなかった事態の上で今、我々は過ごしている。科学的知見がまだ十分とは言えなかった時代であれば、致し方あるまい。日本では大正時代末期の頃だ。欧米列強にいかに伍していくか、それが日本の課題であった。それから100年、過程はどうあれ、世界で屈指の経済大国と言われる日本となった。その日本で他国と比較した話が出る折に日本の常識は世界の非常識と言われるような場面が紹介されることが多い。ガラパゴスと言われる所以でもある。しかし、先ほど来、私が述べてきたような発想からするならば、世界の常識と言われる通念の多くが持続不可能な路線に導いているのだ。強い者が弱い者や物言わぬ自然から奪い取ってくることに抵抗を感じなかった開放系の思想、一方で、他から奪いようもない島国に吹きだまったような日本の閉鎖的な思想(己を知り、足ることを知る観念に導かれる)。現代ではすでに地球全体が閉鎖系の上にあることを認識せざるを得ない状況だ。
持続可能な人類社会の道筋を描くとするなら、閉鎖系の中に生きてきた日本人の感性が(近頃は忙しすぎて見失ったようだが)、他の世界の人々に大きな標となることだと私は思っている。この際、地球外に移住するというような開放系の抜け道を論じるつもりはない。では、その日本、どれほどこの地球上で比類なき、気候風土に恵まれていることか(この恵まれた国、日本については別稿で触れたい)。要するに、亜熱帯から亜寒帯まで、各地の様相を一鉢の盆栽に畳み込んだような風土なのだ。100年前には食糧自給率は8割を超えていただろう。それが今や経済大国になったがゆえに4割を切ってしまった。日本ほど世界中から様々な食物並びにその他資源を輸入している国はあるまい。スーパーは原産地世界各国の食べ物で溢れている。だがしかし、これは一場の夢、持続不可能路線の賜物でしかない。持続可能な標を提供する前に調達した食べ物のご恩返しをしなければ釣り合わぬ現実だ。できる人からできるだけ、大地の上に足を戻すことから始めよう。
山は登るより下るほうが、ものは作るより維持・保全・後始末のほうが、戦は始めるより終わり方のほうが難しい。100年かけて踏み違えたのなら、1000年かけてでも歩み直し、万年に続く、いや地球が天寿を全うするまで連れ添えるような文明にしよう。天(宇宙)の下に生きる民草の意気地というものだ。 (代表理事 中井 俊作)
1章 お金は持つものではなく、回すもの
これからはいかに消費を抑えるか、すなわち省資源、省エネの社会に向かわなければ、人類のみならず、地球生態系が大きな影響を受ける時代になってしまいました。極論するならば、過剰な人類社会の活動が、地球の生命史上の第六次の大量絶滅の時代を招く恐れさえあるわけです。お金をより多く手元に集めた人は、それだけ社会的責任が大きく、その人のお金の使い方がその人の品性を表すことにもなるわけです。お金は持つものでなく、回すものと心得ましょう。
お金をたくさん持つということは、人の生産したものをより多く買えるということにもなるわけですが、お金を消費することに慣れてしまうと、実は自分では何もできなくなるのです。お金が無くなれば、それこそご飯粒一つ作ることが出来ない裸の王様になってしまう。しかしそれでもまだ、今の時代、能力のある人は高い報酬をもらって当たりまえという感覚が人々の心に沁みついたままです。スポーツの世界など人気ある人たちが高額の報酬で雇われている話を聞くと私は心淋しくなるのです。もちろん本人は人一倍の努力をしているから、ある程度の報酬を手にすることはやむをえないかもしれません。でも私から見ると、その人一倍努力できるという才能も、すでに天から恵まれた才能であって、天与の才能に恵まれ、人々の注目を集めている上に、また人間の社会から大きな報酬をもらうということは、私からすればご褒美の二重、三重取りのように見えるのです。私の感覚ではすでにこれだけ恵まれているのだから、恵まれた分だけ恵まれなった方々に回して、少しでもお互いに気持ちよく心を通わせる、笑いあえる社会を実現したいと思うのです。
強いものが余計にとったり、恵まれたものが過分に報酬を得たり、それはやはりそういう姿を見せびらかすことによって人々の欲望を刺激した方が、経済の発展を実現すると思っている人たちがまだいるからなのでしょう。その道の果ては、貧富の格差がますます拡大し、安い賃金で働く人たちや職を失う人たちが巷に溢れ、社会不安が昂ずるばかり。もし私が義務教育をやっと終えるか終えないかで社会に放り出され、仕事にもなかなかつけず、家族とも離れ離れになり、それでも生きて行けと言われたら、どうやって身を立てたらよいでしょう。縁あって助けてくれる人にも出会わなければ、世の中を恨み辛んだ挙句の果てに盗むか脅すか騙すかして、何らかの日々の糧を得ようとするでしょう。高い報酬をもらう政治家が、そういう人々の心の動きを自分自身の心の動きと重ねることができるでしょうか。
2章 総選挙で落選し 自給自足の暮らしへ
実は私は15歳の時に志を立て、将来、政治家になりたい、この世から武器と貧困をなくしたい、一足飛びに国連の事務総長になりたいと思って、25歳で被選挙権が与えられる日本の選挙で、衆議院議員に立候補しました。26歳の時で、当時のその時の選挙では、全国最年少の二人いた候補の一人でした。かなりお金も使われて、しかし落選しました。落選したあと、このやり方ではとても自分の考えた政治的課題は解決しないと思いました。なぜならば、国会議員に求める人々の期待は、私が考える政治の方向とは全くかけ離れていたからです。
私の中心的な課題は、人口問題を軸とする食糧、環境、エネルギー、資源のまさに持続可能な使い方の道を拓けるかどうかということであって、選挙区の利害を代弁するような気持は私にはなかったからです。
落選して3年ほど選挙違反の後始末とこれから先の自分の身の立て方を考えました。その間に有機農業とマクロビオティック(精白しない穀物、菜食を軸とした食べ物の選び方、食べ方によって、健康長寿を目指す運動)に出会いました。要は人々の食べ方が世界を変えるというようなことです。30歳のときに改めて自分の志を実現するために、人々から信任される政治家となるまでの間は、食料の自給自足を徹底してはかり過ごすことにしようと腹に決めました。
私はマネーゲームと言われるお金がお金を生むというような、私からすれば経済活動とはとても考えられぬ博打のようなゲームが、しかも持てる者がますます持てるようになるシステムが放置されたままでいることがいたたまれませんでした。
第二次世界大戦、日本でいえば、太平洋戦争が終わった後の戦後復興のなかで、日本は高度経済成長、いわば産業の大爆発ともいえるような時代に入りました。そのきっかけは、朝鮮半島の人々にはとんでもない災厄となった朝鮮戦争の特需でした。人々の不幸を種にして、経済復興の足がかりにしてしまったわけです。同時にそれは米国による、日本を共産主義の防波堤にすることを含めて、極東にテコ入れする西側の都合でもあったわけです。
おかげで都市化がどんどん進みました。海岸には臨海工業地帯が連なり、都市近郊の農地は宅地となり、多くの主要河川にダムが造られました。都市へ、都市へと人々は向かい、まさに都市は大地や海や自然環境が生む様々な生産物の一大集積地となり、大きな胃袋となって消費の摩天楼を築いてきたわけです。土地も投機の対象となり、まさにその果てが80年代の不動産バブルにつながったわけです。いずれはじけるとわかっていても、当時の不動産業界では黙ってみていれば自分たちは振り落とされるとばかりに、みな競ってバブルのお金を膨らませるのに邁進したわけです。誰も止められなかった。経済学者も、政治家も。こういう世の中の動きでは、とても先があるとは思えませんでした。
私は20世紀のうちに、人類は破局を迎えるとほぼ確信していた人間ですので、もし食糧危機が生じた時にはどういう働きができたかはわかりませんが、たぶん世界のどこかで命を使い切って果てるだろうとそう思って過ごしてきました。ちょっとまた私の選挙の頃の話に戻りますが、私が一足飛びに衆議院の選挙に出られたのは、実は家の背景もありました。簡単にいうなら、戦前、所帯数500ほどの村の中で一番の地主となっており、祖父の男4人兄弟のうち、3人は、明治の中頃から後期にかけて帝国大学などに進むことができた家で、祖父は戦時中、一期だけ翼賛代議士を務めたことがありました。翼賛代議士になったくらいですから、特別、政治的な野心があったわけではなく、あえて言えば、地元ではそれなりに徳望があったといってもいいのかもしれません。その当時、村の信用組合の組合長などをしておりましたが、村の人々に貯蓄を奨励し、熊本県下では信用事業で優秀な組合だということで二度ほど、表彰されたこともあったようです。元々、当時の東京帝国大学の造船学科を卒業した工学士でしたから、俗にいう政治の世界とはかなり距離をおいていた人物だったことに違いありません。だから、25歳、26歳の若者が突然、国会議員の選挙など、出られるわけではないわけですが、選挙に必要な資金は父親が企業献金と自ら抱えていた資産の処分、よそに宅地などを持っていたようですが、それを処分して、私が把握しているところ、5000万円を超えるお金をつぎ込みました。そんな選挙をしたわけです。
でもお話したように、野良に立って、自ら鍬を振るようになって、東京で生まれ育った人間でしたが、できる限り機械を使わずに、もちろん農薬や化学肥料にも頼らず、汗を流すことによって、目のうろこがどんどん落ちていったのです。以来、お米作りも30回を数えました。途中、何度かできなかったのは、私には娘が二人いますが、お産のときは私が取り上げるという約束を妻と交わしていて、基本的にお産は、温かい時期になるように塩梅しました。なぜなら、石油製品や電気エネルギーを熱に変える暖房を用いたくなかったからです。お米の収穫が終わった頃に赤ちゃんを取り上げることができるようにも考えていたわけです。二人のお産は、7月と8月にあったわけですが、実は長女の出産予定日は9月の下旬でした。二か月以上早まったのは、ちょっと妻が無理をして、破水してお産が早く始まってしまったからです。この一件は長くなるので割愛します。いずれにしても、未熟児だったので、保育器に入れろとお医者さんからは言われたのですが、その子も我が家で未熟児に特有な障害が起きないようにトレーニングしました。それも勤めていなかったからできたことで、私はまがりなりにも大学まで卒業させてもらった人間なので、助産婦のテキストになるようなものを手元に置いて勉強しました。他にもできなかった時があったのは、地籍調査という土地の実測測量で、所有土地の境界をすべて明確にしなければならない事業が進められていて、日本でいえば、狭い土地の一筆一筆に登記簿が作られているところの300いくつかの境界を幅1メートルで薮はらいをしなければならない、これは主に山林の話です。測量の結果は、山林で約180haというものとなりました。日本でいえば、かなりの山林地主に聴こえるかもしれませんが、中核林業家と言われる人たちは100haほどの山林を保有しているのが普通と言われています。しかし、よその国にいけば、県単位くらいの広さを持つ大地主もいるわけで、いずれにしても小作人を使って不労所得を生むような土地所有制度は人の社会に馴染みません。
私の場合、戦後の農地改革で暮らしに振り向ける不労所得は手にすることはありませんが、使いきれない農地を人が使う場合にはその土地の固定資産税分だけを実費でいただくようにしています。
3章 使い切れない土地はみんなが使える仕組み作りを
よその国の事情はそれぞれでしょうが、土地の所有ということに関しては自ら使いきれない土地は、それをSDGs的配慮の元にみんなが使えるような仕組みを作ることが急がれます。都市に集まった人々が少しでも大地の上で汗をかくような暮らしに、最近の言葉で言うと半農半X的なライフスタイルに移行することが望まれます。
いま農村に移住する若者が少しずつ増えていますが、皆暮らしを支える現金収入をどう手にするか、それが大きな壁となって立ちふさがっています。私は最近、政策としても名前が出始めたベーシックインカム(すべての国民に最低限の生活を保障する支給金)というお金が自給自足を目指す人たちに一人当たり50万円でも支給されるようになれば、かなり移住する人が増えると思っています。
私の場合、祖父の代に育林した杉やヒノキの立木を売って、そこに家族4人で公租公課などは別として俗にいう直接的な生活費(食費、光熱水費など)は、年間50万円の予算で20世紀中は何とかしのげるような生活設計をしました。厳密にいえば、様々な事情の中でストックしていた貯金を困っている人に回してしまうなど思うようにいかなかったところもあって、途中から妻のパート収入が暮らしを支えるようなことにもなりました。
社会的活動に必要だと思われるお金は別に政治団体のお金として、年間50万円ほど(主として書籍代、交通費、調査研究費など)プールしていましたが、収支報告書を含め、内容は全て公開できるように諸資料など手元に保管するようにしていて、私自身の暮らしの中身は人様の目に晒すことが可能なように過ごしてきました。諸事情は割愛しますが今、年間80万円ほどの年金で独居自炊できる限りの食物の自給を図って過ごしています。
いちいち細かいことまで申し上げたかもしれませんが、政治家を志す以上は言行一致は当然のこと、率先垂範も当然のこと、先憂後楽も当然のこと、自ら貧乏くじも引く日常生活のリスクがあれば自分がそれを引き受ける。もちろん、中には私にできない仕事もありますが、自給的な素人仕事で一番危険な仕事は、いつも自分が引き受けるようにしてきました。山林の木の伐採、屋根の修繕などの高所作業、人に任せればもし万一の事故が起きたら大変だと思う作業は、自分が引き受けるようにしました。それぐらいのことはしてこなければ人の前で口を開く気持ちになれません。ささやかながらリスクは率先して引き受けるという政治家の立場をとっていたかったのです。
4章 もしも政治家になっていたら‥
かくして天草で半世紀、齢も75を数えました。今から国連の事務総長は望むべくもないかもしれませんが、若い頃からもし事務総長になったら、報酬はいらないから代わりに交通機関はただで乗せてもらえ、寝袋を持ち歩くので訪ねた先々のお家で宿を乞うた時には、雨露をしのげさえすれば寝袋を広げるだけのスペースをお借りし、食べ物は訪ねた先で残り物や余り物があればそれを頂き、町を通った時にお店や食堂があればそこで食べ残したものや消費期限が切れたものがあればそれを食べて飢えをしのぎ、最もつらい立場で過ごす人たちのところを訪ね歩き、紛争が起こる地域があれば仲裁に入り、それぞれのリーダーが関係者の前で堂々と主義主張を述べる場を用意して司会役を務め、日常の事務的実務的な仕事は事務次長にお任せするという生き方を夢みていたものでした。
もし日本の国会議員になっていたら、その時は健康で文化的な最低生活を営むということで、制度化された生活保護制度で支給する金額だけをいただくつもりでした。それで国会議員の仕事が務まるかと問われれば、国会の議場に入るには背広にネクタイ着用ということでしょうから、年がら年中一張羅で通してしまうつもりでいました。規程上、議員に支給される他の歳費・経費は供託するなり、とにかく一人でも多くの人が大地の上に暮らしを移せるようなことに使ってもらいたいと思っていました。
立法府の議員としては法律を作成することが役割と皆さん、思っておられるので、そんなことですむかと言われるかもしれません。私はこう考えました。日本の場合、国会議員として外交・防衛、予算・決算などの審議と決定が大きな仕事と意識されるでしょうが、21世紀の今日のような状況にあっては、世界の中の日本の国家議員の役割は、他国で国の方針を決める人たちと交わり、相互理解・相互協力の道をともに拓き、国を超えたこれからの人類が目指すべきゴールと道筋を示していくことだと考えます。
この地上から武器をなくす、容易なことでは実現できるとは思いません。コスタリカという国は軍隊をあえて持ちませんでした。しかし、続くところはありません。そのような世界の中で、実は軍事費世界第9位に位置する日本ですが、憲法9条に戦争放棄という比類なき条文を有し、地上から武器をなくすという働きかけに取り組むに最もふさわしい国柄なのですから、本来はそれこそ、その条文を活かさぬとすれば、宝の持ち腐れというものです。
というわけで、国会議員の大きな役割は、世界中の各国に働きかけをするために、国会開会中以外は世界を飛び回っている、日本にいるときは鍬を握って野良に立っている、要するに、ゴールを目指して武器やマネーゲームを、貧困や格差を、あるいは都市に集中しがちな富や人を大地の上に立ちやすいような手本を示すことだと思うのです。
じゃあ、国会議員が今しているような内政の問題をどうするか、これは各県の県会議員、あるいは、都道府県の行政のトップである知事部局、こういう人たちがそれぞれ自分たちの地域の事情を反映した施策を持ち寄り、審議して法律の作成を心がければよいのではないかと思っています。さしずめ、知事や県会議長が集うてその役割を担う。県の条例づくりなどは各市町村の首長議員が担う。では、市町村の課題は誰が担うかといえば行政区長が担う。自治会・町内会など十分組織されているとは思えない都市部では考えねばならぬことがありますが、私が住んでいる農村ではあるまとまりをもった集落ごとにほぼ直接的な方法で区長が選ばれています。日常的に住民から望まれるような施策は区長がほとんどわきまえているといってよいでしょう。都市部にあってはそれは望むべくもなく、しかし代わりにSNSなどインターネットを活用すれば補うことが出来ると思われます。
乱暴な言い方をしましたが、防衛軍事に関わる課題が心配なくなれば一国の外交内政は簡単明瞭、人々の幸せづくりのための施策に邁進できるでしょう。軍事防衛に関わる人たちが今後安心して民生上の諸課題に役立ってくださるのならば、世界は見違えるほど過ごしやすくなるでしょう。この地上に職業軍人がいて武器ある限り、人々の不安を煽り立て自らの立場を築き、支持率を上げようとする政治家が後を絶たないことでしょう。人々の側に立ってみれば、誰が好き好んで戦争などしたがるものでしょうか。不安を掻き立てられ、憎悪憎しみの種を撒かれ、例えば自国民が故なき迫害を受けているとか、婦女子が性的暴行を受けているとか、要するに自国民を守るために必要だという口実の下にどれ程多くの戦端が開かれてきたことか。流される情報の真偽を確かめるのは非常に難しく、一度相手を疑う態度を取れば疑心暗鬼の言葉通り、相手を憎悪嫌悪し、相手と向かい合わざるを得なくなるものです。これが20世紀までのパワー・ポリティクスのもとでの戦争の歴史であったと言えましょう。
5章 自然の力を最大限活かし、人の力を最大限引き出す
しかし、SDGsに向けての対応が不可欠となった21世紀では、ヒューマン・ポリティクスで答えを導き出さねば、展望が開かれません。ヒューマン・ポリティクスとは、力や脅しで相手を屈服させるようなことでなく、自分が相手の立場に立った時にどう考え、何をするかを自問自答して相手と話し合う、「己の欲せざることを人に施すことなかれ」これは、どの宗教にあっても、共通した心得と言えるでしょう。強制されたり、押し付けられたりした仕事でよい成果は生まれません。結局、優位で強い立場にある人がその心のゆとりをもって条件不利で弱い立場にある人をおもんばかって先に手を差し伸べ、譲らなければ相手の心が和まないとは先にふれたとおりです。衣食足りて礼節を知る、先述したベーシックインカムのように生活補償をすると人は怠けものになるとよく反論して言われたものですが、この先は失業を恐れることなく、本当に自分の取り組みたい仕事に打ち込める世の中に歩み出したい。もし、何をしてよいかわからない、あるいは、怠けているようにしか映らない、そういう人たちが目に留まるようなときは、それこそ政治家の出番です。
ヒューマン・ポリティクスの時代、人の真の実力とは、自然の力を最大限、応用・活用して、お金を費やすような消費生活をセーブし、人の社会にあっては、例えば、今まで一度もほめられたことのなかったような人が自ら歩み出せるような勇気を与え、その人の今後の心の支えとなるような手本を示し、その人ならではの才能、あるいは力を引き出すことができる行いこそ、真の実力だとみなされるでしょう。
率先垂範、言行一致、先憂後楽、並の人々が得る報酬以上の報酬は決して手にしない。
実力が高ければ高いほど、いわば一番低い報酬で身を処するのが望ましい。それが政治の世界でのリーダーに望まれる第一の要件ではないでしょうか。今までのように受験や戦争で過当な競争の中を潜り抜け、知的な能力ばかりが点数で比較されて優劣の序列が決められると、自ずと肉体的な負荷のかかる労働は軽んじられることになります。職業に貴賤はないとは言葉としては使われてきましたが、実態としては額縁に飾られた空文句で終わっていて、今日で言うところのエッセンシャルワーカーと呼ばれる人たちの働きは不当に低く評価されてきました。確かにAI、ITなどという情報処理技術を駆使してロボットなどを使えばかなり肉体労働の世界は減らせるように思えるかもしれませんが、もし一度「太陽風」と呼ばれる電磁嵐や今後増えると思われる自然災害などで、科学技術の成果が十分機能しなくなった時、特に都市に住む知的労働者は途方に暮れることになるでしょう。都市の消費生活に依存してきた人たちは、自分の命を支える具体的な知恵や技や力も持ち合わせていないでしょう。
仮にそのような緊急事態が起きなかったとしても、ロボットを作って動かすには、相応に裾野の広い産業分野とエネルギーが必要となります。大きな気候変動に会えば機械化された大規模な農業も思うような収穫に恵まれるとは限りません。
今の時代、知的労働者ほど高い給料をもらいがちです。教育の機会や世の中を知ることの機会に十分恵まれなかった人は「俺たちはいつも頭のいい連中にこき使われ、その踏み台になっているのではないか」と言葉にはしないまでもどこかでそう思っているに違いありません。食糧危機などの事態に至れば事態は一転します。食糧危機とまで言わずとも、かつてカンボジアのポルポト政権の元では、都市に住む知識階級はいとも簡単に殺戮の対象になりました。簡単に人を殺戮する心の動きは「多分こいつらは俺たちの知らないところで良い目に遭っていたに違いない」と、一方的に思い込んでいたからかもしれません。
学問研究の世界などでは、それこそ気の遠くなるような実験などを繰り返し、新たな技術開発の基礎研究の成果を生んだりすることがありますが、実際の社会には何の役にも立たずに終わってしまう研究だってあるはずです。その大変な努力は人の目には映りません。
逆に知的労働の世界で凌ぎを削り、特殊な研究集団や企業のデスクワークの世界に身を置いてしまえば、現場でどのくらいの人々が汗をかいているかが見えなくなってしまいがちです。
とにかく、今日の工業化社会は、とてつもなく裾野の広い産業間の相互連携の上で成り立っているわけです。その全体を円滑に運営するだけでも大変な作業で、人同士が争ってなどいられるわけがないでしょう。近頃、自国ファーストというような言い方が往々にして政治家の発言に見受けられますが、それは過去のものとすべきパワー・ポリティクスの時代の掛け声と言えるのではないでしょうか。
こう考えていくと、教育や医療の無償化は体制の如何にかかわりなく、当然の施策となるでしょう。ベーシックインカムも実現していれば、生命・障害保険などのお金も用意する必要もなくなり、火災保険なども先に述べたように、軍事・軍需関係の人たちが災害復興のあとに力を注ぐような形で、ある水準までは無償で復旧できるようにする。いわば、人間の医療費無償化と並ぶ生活ハード面の無償化というものでしょう。
6章 都市の人々の足を大地の上に向かわせる
述べてきたように、都市というのは、都市に住む人たちが無自覚的に様々な生産物を過当なサービス競争のあおりをくって過大に消費してしまいがちな、実に制御の難しい人の密集する居住地帯です。嫌味な言葉で言うならば、自然生態系に対して、あるいは農林畜水産物、一次産業生産者に対して、都市そのものが無自覚的収奪システムとして機能してしまうのです。そして今や、様々な工業製品の成果として作り出された商品が大量の資源を使いながら、国全体に送り込まれていくわけです。この流れは、都市として人が集まる以上、止めようがない増殖を続けると思うのです。都市で職業人として働く以上、それがサービス業であれ、製造業であれ、常に商品を供給しなければ暮らしが成り立たない。止めようと思うならば、一人でも多くの人が少しでも都市から足が抜けるような暮らしを一方で確保しなければならない。かつてロシアで経済危機が起こった時に都市の郊外にダーチャ(家庭農園)を持った人々が苦境をしのげたことは語り草となっています。
少しでも多くの人が食糧生産のできる足掛かりを持っているかいないかで、都市の膨張に対するブレーキの度合いが決まるわけです。だから、政治的にいうならば、それが先進国といわれようと、発展途上国といわれようと、いかに都市の膨張をおさえるか、人々の足を大地の上に向かわせるか、それが大きな方向性として示されることになるでしょう。
日本で言うならば、生活保護を受ける方々には、できるだけ早く土地や住宅の手当てができる行政のシステムを用意してもらいたい。
時間がかかるかもしれませんが、都市から一人でも多くの人が大地の上に足を進められるよう、町での仕事が減った分だけ、例えば、週3日都市にいて、残りは地方にいて食べ物の自給に励むというような暮らしが少しでも進むようになれば、一人当たりのGDPがいくらだとか、そういう数字の比較は意味を失うでしょう。
衣食住の自給が少しでも進めば、収入は少なくとも、それなりに豊かな生活が実現するのです。報酬の多寡で人を評価するような時代はもう卒業しましょう。人々が都市から足を抜けやすくするには、公共交通機関の運賃も安いに越したことはありません。安全はもちろん、確保しなければなりませんが、快適さを誇るようなお金のかかる客車を作る必要はないのです。人が安心して移動できればことは足りるわけで、終戦直後のデッキからはみ出すほどの鈴なりの列車はごめんですが、普通列車で人々がこまめに移動できるような便宜をはかれば、そして運賃が安くなっただけ人々が使うようになれば、採算を心配することもなくなってくるのではありませんか。
先々には、地域間格差をなくすという意味でも公共の交通機関は無償にしてよいと私は思っています。ベーシックインカムが実現すれば、あくせく働くという仕事はなくなるでしょう。社会に本当に必要な品物を供給する生産活動の再生産に必要なお金は、当然工面されなければなりませんが、過剰な利益を生み出すような価格設定は控えるのが当然でしょう。
未だに流れは止まっていませんが、何でもかんでもビジネス化し、あるいは新製品を開発しては次から次へと買い替えを促すよう、部品の在庫期間も、新製品そのものの耐用年数も長いとは言えない家庭電化製品。これ以上どれ程の便利な機能をつけ足したら気が済むというのでしょうか。メーカーが異なり機種が異なれば操作するのも簡単にはいかない。部品などの交換もままならない。たくさんの在庫を必要とする。このような生産活動は資源を多消費し、売れ残った製品は廃棄物となるばかり。いずれにしても長続きするわけではない自転車操業、生産を止めたら倒れてしまう。だから必要のない時に生産を止めることが出来るように大地の上に足をのせておくことが必要なのです。労働の形態が終身雇用的なものではなく、それこそローテーションを組んで交代でこなしたり、ワークシェアリングという形で仕事を分け合って、限られた人件費を分かち合う。言ってみれば、みんなが非正規社員になるようなものです。今まで経営者といえば従業員の何倍もの給料をもらって当然と思われてきたかもしれませんが、この先は企業自体が雇用者、被雇用者という分けられ方ではなく、みんなの職場として運営できるように、株式会社であれば社員も株を分かち合い、作る側が使う側の使い勝手をよく吟味し、長持ちする製品を世に送り出してこそ、働き甲斐があるというものです。日本でもかつて数十億円の年収を世にはばかることなく受け取る企業経営者がおりました。海外に出れば日本人から見て目のくらむような高額の報酬を受け取る最高経営責任者があちらにもこちらにも目につきました。
一体その強欲を抑えるために少しでも宗教の力、信仰の力が役に立ったでしょうか。ましてや政治は全く無力といってよかったようです。お陰でちょっとした富裕層も悪びれることもなく、マネーゲームに励み、バブルの時代を演出しました。新しい経済的身分制度が出来上がってしまったかのようです。かつて、お金は人々を身分から解放したと思われた時もありました。しかし、今では持てる者がますます富むような流れが、新しい身分制度として固定化されつつあるようです。貧困の解消などほど遠い現状です。パワー・ポリティクスが未だに通用している結果です。
7章 持続できない文明って何?
この事態を打開するには、多くの人々がこの政治状況に対してヒューマン・ポリティクスの必要性を誰から干渉されることもなく、意思表示できる状況が不可欠です。国や国家という言葉を使うと、あたかも人格をもった権力者が力を振るって多くの国民に号令をかけているように思いがちですが、ヒューマン・ポリティクスの時代にあっては、国という言葉は「みんな」という言葉に置き換えてよいものとなるのです。もし我々みんなが人と人とが争う戦争を願えば、戦争はいつまでも絶えることはないでしょう。しかし、もし武器を置いてみんなで平和の道を歩み出そうと意思表示すれば、その道は拓けるのです。
今までの選挙制度では、ヒューマン・ポリティクスを担うような人材は表に出てきませんでした。報酬の額ではない、人々の幸せな顔を見ることこそが自分の報酬となるものだと思えるような人が、こののち必ず世に出てくるようになるでしょう。時代が人を生み、環境が人を育てます。SDGsの時代、他に道筋として示せるものはあるでしょうか。私には思いつきません。具体的に示せる方があったら、ぜひとも一刻も早く、世に提示してもらいたい。
パワー・ポリティクスの力学の下、有史以来長く続いてきた人間の文明を私は成り行き文明と呼んでいます。戦火は絶えることがありませんでした。第二次大戦で核兵器という最終兵器の登場を見たものの、いまだに戦火は収まらず、東西の対立も尾を引いています。しかしこの半世紀の間、石炭から石油、天然ガス、原子力へと燃料革命の上に飛躍的に工業生産力を伸ばし、大量生産大量消費、都市集中化を進めてきたこの成り行き文明に持続可能な未来が開かれないことは誰しもが認めるところでしょう。時代の流れのなかで、為政者も国民も精一杯、課題に対処してきたには違いありませんが、パワー・ポリティクスのもとでは、人類総体の幸せを実現するゴールなど描きようもありませんでした。
アメリカの先住民、確かナバホの人たちだと思いますが、七代先まで責任を持てる行いかどうかということを行動規範としていたと聞いたことがあります。原子炉でプルトニウムを生み出してしまった私たちは、十万年先まで責任を持たなければならないはずです。
意地悪い表現ですが、見かけ上の発展を成り行きのまま生み出してしまったこれまでの文明の姿を私は成り行き文明と称したのです。
持続不可能な成り行き文明に終止符を打ち、持続可能な文明に築き直さなければなりません。それは、ヒューマン・ポリティクスの下での一人ひとりの意思に基づいた歩みの上に築かれるでしょう。考える存在としての人間の人間たるにふさわしい文明、意志の文明とでも言ったらよいでしょうか。それが実現できないとしたら、人類の未来を語りようがない。ともに意志の文明への道を歩もうではありませんか。
8章 おわりに
少しでも早くこのメッセージを世に問いたかったのですが、人類の発明してきた科学技術の成果の中で、最も意味あるものとして情報通信技術の発達を評価してきた私ながら、日本の西のはずれの農村に身を置いて、自給自足的な生活の傍ら、地域の諸課題に向かい合ったり、かっての地主の家産の維持・営繕に(これらは今、世に無償でお返ししようとその道を開いているところですが)コンピューターを利用して発信できる術を身に着けるいとまはありませんでした。コンピューターは人手を借りて据えたものの、この5年、緑内障を発症して視力は落ちるばかり、右目はすでに失明、残る左目もメガネでの矯正は効かず、視力0.15あるかなし、切歯扼腕していたところにこの5月の連休にパソコン操作に熟達した親子連れの方々の世話になり、口述筆記のような形で私の口にしたメッセージをコンピューターの画面の上に並べてもらうことができました。どれほどの人々の眼に止まるか、この長文を読み終えてくださるか、まったく見当がつきませんが、ここは言葉通りの神頼み。仮にご意見をくださる方がいても、私は多分、コンピューターの画面を読み取ることができず、お返事もできないような有様ですが、どうかご勘弁ください。文字を打ち込んでくださった親子の方々にお礼を申し上げます。
中井俊作はこうして生きてきた
1章 人間として、誇りをもって生きる
どうして自給自足、ミニマルな暮らしを貫いているのか?中井俊作氏の答えは、明快です。
「人間として、誇りをもって生きるため。」「人類が人類のことだけを考えるのではなく、地球上に生きる他の動物や植物などすべての命に思いを馳せ、持続可能な生き方をする。それこそが、人間が誇りをもって生きるということ。」
SDGs(持続可能な開発目標)をはじめ、“持続可能”という言葉がこのところ、流行のように聞かれるようになったが、中井氏は早くから地球の危機的状況に警鐘を鳴らすとともに、環境に負荷をかけない生き方を自ら実践してきた。以下は1991年に中井さんが当時の行政の首長にあてて書いた提言書の一部です。
「世界中の自然環境が人々の欲望充足の対象として切り売りされ、略奪的に開発・消耗されてきました。…このままの勢いでは間違いなく、この地上は人を養いきれぬようになるでしょう。人間のわがままを野放しにできるほど、地球は豊かではないのです。…21世紀は現代文明そのものの存続が問われる世紀、飢餓と環境悪化に直面する世紀、人々が己の欲望を見すえ、自分自身と闘う世紀となることでしょう。…まず身を慎み、現場で踏み台になっている人々に手を差し伸べ(場合によっては身代わりとなり)、飢えと環境悪化に然るべき対策を打たねばなりません。」
中井氏がこの提言書を書いた1991年からの30年で世界の人口は17億人増えて70億人を超え、資源・エネルギー、水や食料などの需要が膨らみ続けています。世界各地で森林が破壊され、絶滅の危機に瀕している野生生物は2万種以上、「第6の大量絶滅時代」とも言われています。地球温暖化の危機が長く叫ばれてきましたが、その進行に歯止めはかからず、各地で異常気象が頻発、灼熱地球に向かって後戻りできなくなる「ティッピングポイント」と呼ばれる臨界点が間近に迫っています。
国連の報告書によると、2021年、深刻な食糧不足に陥った人は、国内紛争を抱える国々を中心に1億9000万人を超えています。さらに、ロシアによるウクライナへの侵攻で小麦などの穀物や肥料の流通量が世界的に減少、価格の高騰を招き、国連のグテーレス事務総長は、このままでは世界的な食糧不足に陥る恐れがあると警告しています。
日本の食料自給率は1991年度には46%(カロリーベース)でしたが、2020年度は37%と先進国の中で際立って低くなっています。専業農家はこの10年で69万人減って全国で136万人、このうち70%が65歳以上です。“食糧安全保障”など言葉だけ、今後、お金を出しても食糧や肥料を輸入できないという事態に陥った時、一体誰が日本の食を支えるのでしょうか。
2章 自給農という基本的人権
中井さんは、自分で食べるものを自分で作る自給農は「基本的人権」であると一貫して唱え続けてきました。以下は、中井さんが35年前に書いた「基本的人権としての自給農」という文章からの抜粋です。
「ああ、一体誰が農を職業になどと位置付けたのだろう。なぜ、自分の食べ物を自分で作るという基本的人権を一方で投げ出して他方では奪って平気でいられるのだろう。お金はかつて人々を身分から解放したかもしれない。しかしお金に替え難い“生活”までをお金に換えてしまうことの不自然さに気づかないのは何故でしょうか?…この現代社会の危険性を認知して足ることを知る社会へ歩み出したいものです。戦争や破局に至ることを考えれば少々の自制は何のこともないでしょう。まずはできる人ができるところから。」
中井さんは東京生まれ東京育ちですが、25歳で天草に移り住み、30歳から10年余りをかけて食物をほぼ自給自足できるようになったそうです。自分の下肥(排泄物)を汲んで野良に戻し、「種をまき、作物に手を添え、収穫して口に入れ、残滓・下肥を堆肥に積んで田畑に返す」という一連の循環の上に生活の礎がすわった時、「初めて安心し、人心地が付いた感覚を得て、ようやく伴侶を迎え、親となる気持ちに至った」といいます。それから40年あまり、中井さんは玄米菜食をベースにした自給自足の暮らしを続けてきました。
七輪で玄米ご飯を炊き、畑で採れた旬の野菜を楽しんでいます。人間の身体と住んでいる土地や風土は切り離せず、その土地の自然に適応した旬の作物を育て食べることで健康に生きられる、まさに「身土不二」(しんどふじ)の実践です。
3章 持続可能なライフスタイル
中井さんはエネルギーをほとんど使わない暮らしをしています。ガスの代わりに七輪を使います。保温ジャーの代わりに発泡スチロールの箱の中に鍋ややかんを入れて、上から新聞紙とタオル、毛布をかけておくと長く保温できます。煮物は余熱で一層、おいしくなりますし、夕食時に飲んだお茶が朝になっても冷めていなかったのには驚きました。玄米の保冷庫はありますが、日常使う冷蔵庫はありません。代わりに、籠に食材を入れて井戸の中につるしておきます。夏の暑いときでも14度くらいに保てるそうです。洗濯は手洗い、古い二層式洗濯機の脱水機だけ使っています。
中井さんの母屋に初めて泊めていただくことになったとき、「何か持っていったほうがいいもの、ありますか」と尋ねたら、「一人一本ずつ、へらを持ってきてください」とのこと。何に使うのかと思ったら、食事をしたあと、椀や皿をきれいにするためでした。中井さんは使ったどんぶりを洗わず、へらでこさぎ取り、きれいにします。お米一粒も無駄にせず、すべて美味しくいただき、洗い物も簡単、というわけです。
禅宗にも、食事のあと、お茶やお湯で器を洗い飲み干す「洗鉢(せんぱつ)」という作法があり、永平寺の正門には、「杓底一残水 汲流千億人」、どんな小さなものでも無駄にしなければ、多くの人の役に立つという道元禅師の教えが刻まれているそうです。環境、食料、エネルギー問題、いずれもあまりにも大きな課題ではありますが、中井さんが言われるように「できる人ができるところから」‥、一人ひとりの日々の小さな心がけがいずれ大きな力となっていくのだと思います。